ガダルカナル島で、幸せについて考える | JIN's QUEST

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ガダルカナル島で、幸せについて考える

   


ガダルカナル島を訪問した際、飢えで1万人以上の兵士が死に「飢島」(がとう)とも言われた島で何かを食べる気にはなれず、車に乗るのも気が引けて、食事もとらずに片道3時間かけて平和慰霊公苑のある丘まで歩きました。

ガダルカナル 廃船とピースボート船の残骸の後方に写っているのがピースボート

ガダルカナル 家並み1大通りを外れると、このような家並みが続く

ガダルカナル 家並み海岸から離れると少し標高が上がり、海が見えてくる

ガダルカナル 丘から

海を見渡す美しい景色が広がる場所ですが、70年前、そこで数千人の日本人が、一部の権力者の欲を満たすために派兵され、無策で無責任な指揮官の命令で無駄に殺されてしまったことを思うと、本当に胸がつぶれる思いがします。

ガダルカナル 慰霊公苑入口

この慰霊公苑では、日米両国の戦死者が追悼されていることは良いのですが、その慰霊碑の碑文に、その戦闘があたかもやむを得なかったかのように記されていること、

ガダルカナル 碑文

もう一つの慰霊碑には「散華された」「祖国へ捧げられた忠誠心を偲び」といった文言が刻まれていることに、なんとも言えない不快感と憤りを感じましたが、みなさんはどう思われるでしょうか?

ガダルカナル 慰霊碑

もちろん、亡くなった方々は、自分たちの家族や、日本を守りたいという気持ちはあったでしょう。



しかし、一部の人間が牛耳る国家権力によって殺されたのであって、その命が「祖国へ捧げられた」わけではありません。
この碑文を誰が考え、決定したのかわかりませんが、国家権力の責任を隠蔽し、為されたことを肯定し、ややもすると「散華された」「捧げられた」「忠誠心」などという言葉によって美化しようとするような雰囲気を感じますし、そのような構造は今も日本のあらゆる場面で見え隠れしているように思います。
そしてそもそも、「祖国へ」の「忠誠心」というような偏狭なナショナリズム、リージョナリズム、セクショナリズムが、対立を生み、争いを生むのではないでしょうか?

ガダルカナル 銅像

・・・公苑からの帰途、近道だと言われて通った村の中で道に迷うと、中学生くらいの男の子が親切にも港までの道がわかる大通りまで1時間ほども案内して一緒に歩いてくれました。

ガダルカナル 送ってくれた少年1
案内してくれたのは黒いTシャツの彼

島中どこを歩いていても、本当に皆笑顔で親切なのです。

ガダルカナル 村の青年

ガダルカナル 村の少年少女小屋の下

現地の人にとってみれば、自分たちとは関係無い2つの国が勝手に侵略してきて戦争を行い、自分たちの島を破壊し、おびただしい死体を残していったわけですから、こんな迷惑な話はないわけです。

しかし、私が日本人とわかると、「メモリアル・パークに行くのか?」と親切に道を教えてくれ、笑顔で手を振ってくれる。そのことにもとても複雑な思いが去来しました。

ガダルカナル 村の若者1人

ガダルカナル 村の若者小屋の中

 

そして、その途中で出会った子どもたち。

ガダルカナル 村の少女2人

本当に貧しい暮らしをしている地域もあり、

ガダルカナル スラム2この子たちが暮らしているのは、こんなスラム

ガダルカナル スラム1

 

靴すら履いていない子がほとんどなのですが、

ガダルカナル 通学少年3人この子たちは制服を着ていてかなり裕福な子だと思うが・・・

カメラを向けるだけでくったくのない笑顔ではしゃぎ、

ガダルカナル 村の子3人

ガダルカナル グラウンドの子どもたち1

ガダルカナル1

英語を習っている年長の子は片言の英語で一生懸命話しかけてきて、それはそれは楽しそうにしているのです。

ガダルカナル グラウンドの子どもたち2
なんだかんだで20人以上の子どもたちがついてきて・・・(笑)

ガダルカナル 送ってくれた少年2

日本では街中でこんな笑顔の子どもたちを見ることはなくなってしまったのではないでしょうか?
我が家にはまだ小学生が2人いますが、友だちはみんな塾やら習い事やらで、放課後いっしょに遊べる友だちもめったにいませんし、不審者に気をつけるように、というような連絡が学校から回ってきたりして、外で自由に遊ぶことさえままならないのです。

そして、最寄りの駅には夜10時過ぎにお迎えの車が並び、そんな時間に小学生が塾から帰ってくる。その間の息抜きはネットゲーム。

(もちろん我が家では一切そのようなものは買いませんし、塾にも行かせませんが。)

 

こんな子たちは、一体どうなってしまうのかと本当に心配になりますが、今のままだと、そんなふうに育った子どもたちが社会を動かす立場に立ち、経済格差が開き、二極化が進み、さらに歪んだ社会が造られてゆくことになってしまうのでしょう。

 

「夏休み明けに多い子どもの自殺 防止を呼びかけ」というニュースが流れるような社会になっている現実を目の前にして、「幸せ」とは何か、何を求めて生きるべきか、すべての人がもう一度根本から見直すべきなのではないかと、改めて強く感じさせられたのでした。


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