“ちがい”を豊かさに~共に生きる社会をつくるために~講演録8 | JIN's QUEST

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“ちがい”を豊かさに~共に生きる社会をつくるために~講演録8

   


では、共に生きる社会にするためにはどのようにしたら良いでしょうか。まずは気付こうとする意識が大切です。まずマイノリティへの視点を持つということです。そのためには自分が当たり前だと思ってきたことを見直さなければなりません。しかし、何が問題かということが分かっていなければ、いくら見直しても発見できません。

例えば今日のシールには、全部に字が書いてありました。私が全部マジックで書くのですが、なぜだかおわかりでしょうか?それは色の識別ができない方が中にはいらっしゃるからです。しかしそのことに気づかずに色だけでワークをすれば、そのような方を傷つけることになりますし、その方はワークに参加できないことになります。ですから文字を書くことで判別するようにしているのです。

まずはこの社会で何か困っている人がいることに気付いてください。そして何が問題かを見極め、それを解決するためには、どのようにしたら良いのか考え行動するということが大切です。気づこうとする意識、偏りのない知識と客観的な視点を持って解決のための行動をとるということです。

そして平等な社会参加を可能にする制度をつくっていくことが必要だと思います。。

例えば今日のシールに話を戻すと、シールが2色だった人のことを、周囲の人が気づいて、どちらかの色のグループに入れてあげることができたかもしれません。

では、一人だけの色の人はどうすれば良かったのでしょうか?実は全員のシールに黒で字が書いてあったので、全員が黒で一緒のグループになってもよかったのかもしれません。

そんなことに気付いて、みんなが参加できるようにしていくということが大切ではないでしょうか。一人ひとりがそのような意識を持って変えていくということが重要なのです。

それなのに、先ほどのヘイトスピーチなどは違いをあげつらっていて、ひどいものです。ネットで検索すると出て来ますが、本当に聞くに耐えないひどいことを朝鮮学校や在日コリアンの集中地域に向かって集団で叫んでいる。警官はその周りにいるのにそれを止めることもしません。日本では人種差別を禁止する法律がないからできないというのです。

しかし、日本は国連からも対処勧告をされています。日本は人種差別撤廃条約に批准しているにもかかわらず、そういう法律をつくっていないということ自体が問題であると思います。こういったことは、単に「みんなで仲良くやっていこう」だけではどうしようもない部分があるので、きちんと法律や条例をつくって対処していく必要があると思います。

ヘイトスピーチをしている人たちは、自分では正しいことをやっていると思っているのかもしれませんが、根本的に間違っていますし、ある人が振りかざす「正義」というものが、相手の人を傷つけることになっているのでれば、それは本当の正義ではないと気づくべきだと思います。

自分の正しさを主張するよりも、お互いにハッピーになれることを考える、当たり前のことですが、これが本当に大事なことなのではないでしょうか。

1つの例をご紹介します。実際にあった話です。サンリオのキャシーちゃんを知っていますか。キティちゃんのお友達という設定のうさぎのキャラクターです。そのキャシーちゃんが、ディック・ブルーナという絵本作家のキャラクターであるミッフィーの盗作じゃないかとブルーナさんから訴えられました。しかし、サンリオは「これはキティちゃんの仲間ですよ、ほら、耳を取ったらまるでキティちゃんでしょ」というようなことで、裁判になりました。

ところが東日本大震災の後に、ブルーナさんから、「こんな訴訟をするよりも、その費用を被災地の復旧に充てよう」という提案があって、お互いの訴訟をすべて取り下げて当時のお金で1,760万円を被災地に寄付したということです。

お互いの主張は平行線で、どちらも正しかったかもしれませんが、そんなことで争うよりも、もっと社会のためになることに力を注ごうということで合意したのです。このように違う次元で解決策を見出していくということも大事なことなのではないかと思います。そのようにお互いを認め合って、共に生きる社会をつくっていくことができたら良いなと思います。

人権とは人が生きる権利と言われていますが、単に生きられればそれでいいというものではありません。

人権とは、人が「幸せに」生きる権利なのではないかと思います。

そのためにまず自分自身の枠を超えて考えて行動する、自分の当たり前を超えて考えて行動する、そして組織の枠を超えて行動する、そしてまた地域の枠を超えて、または国境の枠を超えて考えて行動することが大事だと思います。

それまでの物事の捉え方を根本的に変えることを「パラダイムシフト」と言いますが、そういったことが必要だと思いますし、そういう意味では、時間の枠を超えて考え、行動することも大切だと思います。

私が学生の時に、障がいのある方のグループのケアに入ったことがありました。その時に、生まれつき腰も手足も曲がってしまって、前後に腰と首が動かせるだけという方がいました。

しかし、その方は言語障がいがなかったので施設を出て、自分でアパートを借りて、自立生活をして、電動車いすでいろいろなところに講演に行ったり、口で棒を加えてワープロを打って原稿を書いたりして、社会にいろいろなことを訴えていました。

その方にある時言われたことがあります。「岩山君、僕も本当は施設にいる方が楽なんだよ、君たちみたいにボランティアに迷惑をかけることもないし」。彼はそのとき迷惑という言葉を使いました。障害のある人たちに、「迷惑をかけている」と思わせている社会があるということに気付いたのはだいぶ後でしたが、そのとき彼は確かにそう言ったのです。

実際はボランティアを集めるだけでも大変でしたし、腰が曲がっていますから寝返りも打てないので、寝る時も、もともと見ず知らずのボランティアがほとんど24時間側にいることになる。そのストレスも相当なものだったと思います。何度も胃潰瘍になって手術をしているほどでした。

しかし、そこまでして、なぜ施設を出たのか。彼はこう続けました。「でもな、僕たちが施設にいたら、僕たちみたいな人間がいるということにいつまでたっても気付いてもらえないんだ。だから僕のできることって大したことじゃないかもしれないけど、でも後から生まれてくる僕たちみたいな子どものために少しでもできることをしたいんだ」と。

その方はそれからしばらくして亡くなりました。でも、その町はどこの町よりもスロープがあって、手すりがあって、リフトバスが走って、日本で初めて自立生活のできる支援付きのアパートが作られる町になったのです。

もちろんその方1人の力ではありませんが、彼の思いが一緒に活動する仲間をつくり、それを支えるグループをつくり、本当に社会を変えていったのだと思います。

私たちは社会で起きる出来事を目の前にして、「自分一人がやったって」と思ってしまうようなこともあるかと思います。本当に無力感を感じることもたくさんあります。しかし、だからといってやめてしまうのではなく、ほんの小さな一歩でも前に進むことが必要です。そのような行動を取るか否かによって、その後の状況がずいぶん変わってくるのではないでしょうか。

ひょっとしたら私たちが生きている間に社会は大きく変わらないかもしれません。でも、その思いを、「時間を超えて」次の世代に伝えていくことで、少しずつでも変化が起き、少しでも多くの人が笑顔になり、幸せに生きられる社会になっていけば、それこそが、私たちが人として、この社会に生きる大きな意味なのではないかと思います。

今日お話したことは、ある意味当たり前のことが多かったかもしれませんが、ぜひその「あたりまえ」を見直すきっかけにして頂き、皆さんと共に、多くの人が笑顔になり、幸せに生きられる社会を、共に生きられる社会をつくっていければと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。今日は皆さんどうもありがとうございました。


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