“ちがい”を豊かさに~共に生きる社会をつくるために~講演録2 | JIN's QUEST

*

“ちがい”を豊かさに~共に生きる社会をつくるために~講演録2

   


それでは質問をしていきたいと思います。どうしたら同じ色のグループに分かれることができたのでしょうか。

同じ色の仲間の方に導かれてという方が多いですが、皆さんそんな感じでしょうか。他の人に同じ色の人を教えてもらって分かったという人も多いですね。

このワークで大事なことが2つあります。1つは言葉を使えないことの難しさです。言葉を使えれば赤の人、白の人と言ってしまえば簡単に分かるわけですが、言葉が使えないことで本当に簡単なことでもとても難しくなってしまいます。

また、このワークでは言葉を使わなくても、色のついたものを指さして教えることができたわけですが、そのような簡単なことにほとんどの人が気づきませんでした。つまり、言葉が使えないことが引き起こすある種のパニック状態、それが余計に多くの困難を引き起こしてしまうわけです。

私がこういう活動に関わる大きなきっかけになったのは阪神淡路大震災だったのですけれども、まさに震災のときなどは、実際にそのようなことが起きているのです。阪神淡路大震災のときには、被災地に約8万人の外国の人がいて、そのうちの2万人は言葉が全く分からない人でした。そうすると、本当にその場で何が起きているかさえも分からないわけです。そして、普段、ただでさえ困難なことが余計に困難な状態を引き起こし、どうしたらよいのかわからないという状況になってしまうのです。

もう1つは、今日は自分の背中にシールを貼られてしまったわけですから、自分の色が分からないわけです。ですから言葉を使ってはいけないと言われたときに「え、どうするの」と、一瞬どうしていいか分からなかったという人もいましたよね。

自分自身ではどうすることもできない。しかし、他の人が見ればすぐに分かります。ここが大事なポイントです。要するに自分自身では分からない、どうしようもないことでも、他の人がちょっとサポートしてあげれば簡単にできることがいろいろとあるわけです。

社会の中でもこういうことが実はたくさんあります。ある人には非常に困難なことでも、誰かが気付いてちょっとサポートしてあげれば、簡単にできることというのがたくさんあるのではないかと思います。しかし多くの人は気づくことができない、または気づいても一歩を踏み出すことができないのだと思います。

先ほど阪神淡路大震災の話をしましたが、最初ボランティアから始まった外国人のサポートが、多文化共生センターというNPOになりました。そのとき、私たちがボランティアを募集すると、ほとんどの人は「私は、外国語ができないから無理です」と言われるわけです。

でも実は外国語が分からなくても、日本に住んでいて日本のことがよく分かっていればサポートしてあげられることが実はたくさんあります。そこに気付いてちょっと一歩を踏み出せるかどうかがかぎになってきます。誰かが一歩踏み出したことで、困難から救われる人も実はたくさんいるのではないかと思います。

しかし、そこで一歩を踏み出せるか否かの違いはどこにあるのでしょうか?

例えば、町中にごみが落ちている。まずそこに気付く人もいれば気付かない人もいますし、気づいていてもそのままにする人もいるわけです。町を歩いていてごみが落ちていたときにどうしますか? 家の前に落ちていたら拾いますよね。「誰だ、こんなところにごみを捨てたのは、腹立つわ」みたいな感じで拾いますね。しかし、駅前に落ちていた場合は拾わないかもしれません。この違いは一体何かということです。要するに社会に起きる出来事を自分のことと思えるか、思えないかということです。

また、今日のワークでは、最初は「え、どうしたらいいの?」と、分からなかった人も、誰かが気付いて引き合わせいるのを見て、「あ、何だ、そうすればいいんだ」と思って自分も他の人を引き合わせたり、自分も背中のシールを見せに行ったり、積極的に動き始めてグループができてきました。

しかし、この社会の中ではなかなかそうはいかないことが多い。誰かに任せてしまって「あ、この人がやっているからいいわ」と通り過ぎてしまう。そうするとなかなか社会は変わっていかないのではないかと思います。多くの人たちが社会で起きている出来事に気付いて、自分たちの社会の出来事なのだから、自分にも関係のあることだと思って意識して行動に移す。ここが非常に大事なポイントではないかと思います。

さて、そんな話をしている中でも、「いったい俺は何色だったんだ?」と思っている方がひょっとしたらいるのではないかと思うのですが、最終的に色がはっきり分からなかった、グループに入れなかったという方がいらしたら、ちょっと前に出て来ていただけますか。はい、ありがとうございます。

実はこの方たちのシールは二色や一人だけの色だったのです。何かみんなから追い出されてしまった気分、何か居場所を失ったような感じ、「自分は一体どこに行けばいいんだ」といった感じですよね。はい、すみませんでした。

しかし、実は社会の中でもこういうことがたくさんあるのではないでしょうか。二色で同じ色が入っていても、他にも違う色が入っていると「この人、ちょっと違うんじゃない」ということになってしまう。

周囲の人は、別に排除しようだとか、のけ者にしようと思ったわけではないけれども残されてしまう。例えば両親の国籍や人種が違う人にとっては、国籍や人種でグループをつくられてしまったら一体どこに自分が入ればいいのかと思うでしょう。

もちろんグループをつくった方は、この人たちをのけ者にしよう、排除しようと思ったわけではありません。けれども、結果として排除してしまったり、傷つけてしまったりということが実はたくさんあるのではないかと思います。

 

(講演録3につづく)


 - 共に生きる